日記どころではない

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にんげんしっかく かんそうぶん!

 

 

人間失格」が持つ現代的な意義とは俗にいうネガティブな思考を持つほとんどの人が漠然と内面に抱えている悩みや問題や疑問を今一度考えさせ、情報社会の発展により生じた孤独との向き合い方や本質を捉えさせるものになるのではないだろうか。作中の堀木との会話の中で説教じみたことを言われた葉蔵は、『世間というのは、君じゃないか。』という言葉を出してしまいそうになった後で、『けれども、その時以来、自分は、(世間とは個人じゃないか)という、思想めいたものを持つようになったのです』と書かれている。世間というものは個人の集合体であり、結果として人は世間という言葉を自分にとって都合のよい言葉に置換して使うのだ。この文を読んだ人々は多少なりともはっとさせられたり、考えさせられたり、共感させられたのではないだろうか。そして手記のほぼ全編で見られる太宰の感情を吐露しているような文を読んでいると、まるで自分は太宰という男の人生の苦悩や心情の真実を知る聞き手役になった気さえしてくるのだ。これは太宰作品特有の潜在的二人称がもつ効力によって、知らず知らずのうちに小説の中に自分の考えが組み込まれていっているようにも思える。  また、「人間失格」とタイトルにあるが作中の葉蔵はむしろ絵に描いたように人間をしているようにも思えた。いつも不安や恐怖に苛まれている中で道化を演じ自分を守るための努力をし酒、煙草、女といったものに癒しを求めるというのはそれこそ小説やドラマでよく見かける一つの人間像として完成されているのではないだろうか。葉蔵が自分のことを道化とし、複雑な内面を読者に見せたところでそれは手記の登場人物である世間にとってはマダム以外にはその全容は知られざる内容であり、より一層ロマン的アイロニーや孤独を感じさせるのだ。葉蔵という人間を通して私たちは孤独の本質をより明確に考えさせられるのだ。私は煙草も吸うし、バーテンダーで生活費を稼いでるので酒も飲み、女性とも喋る。葉蔵の一時期に近からず遠からずな生活をしたこともあるが、その中で人々に良いことでも悪いことでも疑問を抱くこともあれば精神的な孤独や不満を感じることもある。しかしこの小説を読んだことで肩の力が抜けたというかどこか腑に落ちる部分があった。だからこそこのような解釈をしたのだが、他の誰かも同じような気持ちを抱いていてくれていれば救われる

 

この手記は数年前のものであるため、拙い表現は目を瞑って頂きたい。うんこちんこ